周辺観光
ホーム館内のご案内お部屋お料理プラン一覧料金とご予約温泉
焼走り熔岩流(名所・景観)

1732年、岩手山は噴火し大量のマグマが流れ出た。その全長は4kmに及び、約280年を経て今なお植物が育たない黒い岩石地帯となっている。歩くとザクザクした感触がする。

いこいの村岩手よりお車で約10分。

八幡平黒谷地湿原(名所・景観)

八幡平アスピーテライン黒谷地バス停から北に広がる黒谷地湿原は、高山植物が豊富な天然のお花畑。八幡平の火山活動により、川がせき止められてできた広大な湿原だ。周辺はアオモリトドマツの樹海で、鬱蒼と茂った森の中に湿原は位置している。

いこいの村岩手よりお車で60分

松尾村歴史民俗資料館(歴史・文化史跡)

東八幡平交通センターから歩いて5分。縄文時代後期の土器や土偶、またかつて東洋一を誇った松尾鉱山に関する資料などが豊富に展示してある。しばしの時間、3000年前にタイムトリップしてみてはどうだろう。

いこいの村岩手よりお車で約20分。

松川地熱発電所(名所・景観)

松川地熱発電所は、1966年10月に日本重化学工業(株)が日本で初めて運転を開始した地熱発電所で、以来30年以上も発電を継続しています。多くの地熱地域では、生産井から蒸気と熱水が混じって噴出しますが、松川は蒸気だけが噴出する、我が国では唯一の蒸気卓越型地域です。

いこいの村岩手よりお車で25分。

岩手県民の森(のんびり・散策)

たくさんの樹木が茂る県民の森は、松川渓谷に沿う70haの森林。その数およそ100種類と言われる野鳥の森には、巣箱がかけられている。キャンプ施設も整っているから、仲間と一緒にバードウオッチングが楽しめる。  

いこいの村岩手よりお車で約20分。

石川啄木記念館
1986年(昭和61年)に生誕100年を祝し、啄木がかつて「理想の家」を詩に託した白い洋館風の建物がイメージされ、新築されました。館内には直筆書簡、ノート、日誌、遺品、写真パネル、映像、音響等で構成され、さらに啄木関連図書の充実が特色となっています。
いこいの村岩手よりお車で20分。
ホームページはこちら
宮沢賢治記念館
花巻市の郊外、胡天王山の中腹に記念館はあります。、賢治50回忌の年に建立されました。館内には、詩や童話、教育、農業、科学と多彩な活動を繰り広げた賢治の世界に親しんでもらうための施設です。チェロや自筆原稿など賢治ゆかりのものの展示のほか、ビデオやスライド、図書資料などで賢治宇宙にアプローチすることができます。
いこいの村岩手よりお車で約60分。
ホームページはこちら
岩手エッグデリカ(サラダファーム)

お花の種類は初夏ピーク時で約400種を超えます。 特に冷涼な空気な地域の為、苗が丈夫に育ち、お花の咲いている期間が長くなる傾向にあり、「長持ちする」と訪れるお客様に喜ばれています。
お近くへ起こしの際は、どうぞお気軽にお寄りください。  

いこいの村岩手よりお車で約10分。

岩手山
盛岡市の西北盛岡平野と八幡平高原の中間にどっしりと構えた大型の活火山(コニーデ型)である。3市町村にまたがり、平野部のどこからでも望める県内最高峰のこの山は、富士山型の雄大・秀峰な山容から、「南部方富士」の別名で親しまれ、昔も今も南部地方の象徴的な存在となっている。 山体は、生成の古い西岩手火山とその東部に新しく生成した東岩手火山からなり、最高峰は薬師岳である。 西岩手火山の大地獄カルデラは、東西2,500m、南北1,500mあり、北側が屏風岳、南側は鬼ヶ城と呼ばれる。御苗代湖、御釜湖の火口湖があり、お花畑といわれる植物群落が見どころ。一方、東岩手火山の鬼又沢カルデラは東西1,250m、南北1,700mあり、山頂は御鉢、火口は御室と呼ばれる。 また、北東斜面の国特別天然記念物・焼走り熔岩流は1932年の噴火で流れ出たもので、その荒涼たる眺めは噴火時当時の激しさを物語る。7月~8月は日本一とも言われる「コマクサ」の群落が迎えてくれます。
いこいの村岩手より焼走り登山口までお車で約10分。
平泉 ・・世界文化遺産
 平泉は、12世紀に東北地方で栄えた奥州藤原氏ゆかりの土地。戦乱の後、初代藤原清衡が平泉を「仏の住む極楽浄土」にしようと考えて、中尊寺を建てた。同寺には藤原4代の遺体が眠る金色堂がある。世界文化遺産に登録されるのは、この中尊寺をはじめ「毛越寺」「金鶏山」「無量光院跡」「観自在王院跡」の計5資産。  
いこいの村岩手よりお車で約90分

中尊寺 (ちゅうそんじ)

天台宗・東北大本山。山号を関山といい、慈覚大師を開山とします。
12世紀のはじめ、奥州藤原氏の初代清衡公が多宝塔や二階大堂など多くの堂塔を造営しました。 その趣旨は前九年・後三年合戦という長い戦乱で亡くなった人々の霊をなぐさめ、仏国土を建設するものでした。14世紀に惜しくも堂塔は焼失しましたが、今なお金色堂はじめ3,000余点の国宝や重要文化財を伝える平安美術の宝庫です。

毛越寺 (もうつうじ)

天台宗別格本山・毛越寺は山号を医王山といい、中尊寺と同じく慈覚大師によって嘉祥3年(850)に開かれました。平安時代後期に奥州藤原氏二代基衡公と三代秀衡公が金堂円隆寺、嘉祥寺など壮大な伽藍を造営し、その規模は堂塔40、僧坊500を数え、我が国無二の霊地と称されました。

 

金鶏山 (きんけいさん)

奥州藤原氏によって山頂に大規模な経塚が営まれた信仰の山で、「造り山」の異名を持つ。東麓に金峯山蔵王権現堂跡の伝承地もあり、弥勒信仰との関連性が想定される。金鶏や埋蔵金の伝説に彩られた山でもある。

無量光院跡 (むりょうこういんあと)

藤原秀衡により宇治平等院鳳凰堂を模して建立され、阿弥陀堂を中心に伽藍が構成されている。奥州藤原氏滅亡後、焼失して境内は荒廃したが、堂跡、池跡等の遺構が良好な状態で保存されている。

観自在王院跡 (かんじざいんおおいんあと)

観自在王院は藤原基衡の夫人が造営した寺院。 その庭園は、毛越寺とともに浄土式庭園の典型とされている。


ページの先頭へ戻る